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昭和60年創業の味を伝える。

次の世代に伝える為に。

色々ある、お好み焼き教室

商売の経験がない人がお好み焼き屋を始めようと思った時に頼るのがお好み焼きの学校。日本にはお好み焼きの学校が色々ある。
ソース会社がしているお好み焼き教室や、設備や内装工事会社のお好み焼き教室、フランチャイズをする為のお好み焼き教室などなど。
実は私も日本にある主だったお好み焼き教室に通った。目的は教える為の勉強として。
だから、どんな風に教えてくれるのかも理解している。
それぞれ長所、短所がある。たくさんのソースを試させてくれたり、色々な設備を見せてくれたり、流石にその会社だけはある。しかも、授業料はわずか。もちろん、その分ソースを買って下さいや設備はうちで、フランチャイズ料は10%でお願いしますってなるけど。
わずかなお金で行けるんやから、行けたら行った方がいいと思う。1番あかんのは、飲食経験がなく、大してお好み焼きの研究もしてないのに、お店を始める事。それだけは、失敗する確率が本当に高くなるから注意が必要。
 
 ほんでね、それらの会社さんは、ソース会社はソース、設備会社は設備を詳しく教えてくれる。
では、お金を頂く、大阪お好み焼きアカデミーは何を教えるかと言うと実践の場で使えるコツや今も続く昭和60年創業の経験を伝える。お好み焼き教室で習いましたと言うよりも、お好み焼き店で修行してきたって思える様な内容。経験って何?ってなると思うけど、簡単にいえば、おいしくなる焼き方はもちろん、手捌きや立ち振る舞い、そしてなによりも自信を持って帰ってもらいたい。実践や実践に近い経験を多くする事で、不安を少しでも減らす。ソースとか、設備とかは、経営とか、最低必要な分しか時間は取らない。お店をオープンする時に必ず役に立つ内容です。ソースはソースさんに、設備は設備さんに聞いて、現場は現場で。そんな大阪お好み焼きアカデミーです。
もちろん、ソース屋さんや設備やさんも紹介できるので相談して下さい。

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代表紹介

大阪お好み焼きアカデミー 代表
大阪オコタコ協会 代表理事
にっぽんお好み焼き協会会員 
     
           名前 山本 高弘
 
大阪府四條畷市出身 昭和48年生まれ(51歳)
四條畷北高校卒 

●経歴
  高校卒業後 外食企業に就職。
  モデル店調理トレーナー就任。
  店長など経験。
  企業のトレーニングや新人育成など担当。
   その中で作業解析や手順などを研究。
   職人の暗黙知のマニアル化に着目。

・2006年 
  父の他界の為、実家のお好み焼き店を兄弟で
  受け継ぐ。この時に売上を激減させる。
  これを機に戦略 戦術を独学で学ぶ。
  トライ&エラーを実践し
  利益倍増を経験。
  戦略とは【戦いを略す】の言葉に感銘
  
(勉強させて頂いた本)
  実践マーケティング戦略 佐藤 義典 著
  戦略BASICS      佐藤 義典 著
  船井流マーケティングの極意 岡 聡 著
  他 多数
  
・2016年
  2号店を出店。
  テレビ ラジオ出演や雑誌取材など多くの
  ご縁を頂く。
  イベントにて露店販売にも挑戦し、
  販路拡大。
  
・2019年
  地域貢献活動や
  地域の経営者コミュニティーの立上げ。
   
  約2年をかけ、
  大阪、広島のお好み焼き店や
  お好み焼き教室で勉強。
  とあるお好み焼き教室で師と出会う。
  その教室で教壇を執り勉強。
  某テレビ番組のお好み焼き企画の監修や
  撮影も経験する。

・2020年
  大阪オコタコ協会立ち上げ
  YouTubeチャンネル オコタコの世界開設
  大阪お好み焼きアカデミー準備委員会設立

・2022年
  6月13日(月)
  大阪お好み焼きアカデミー開校

・2024年
  認定店 2店舗オープン

  

お好み焼きとの出会い。

父の脱サラから始まったお好み焼き人生。

私が小学校のある日のこと、突然、緊急家族会議が始まった。
父「仕事(運送業)、辞めてきた。」
家族「えー、なんでなん。」
父「お好み焼き屋 やりたいんや。」
今でも忘れません。この日の事を。始めて聞いた気がしました。父の本音を。
いつも黙って帰ってきて、黙ってビールを飲み、黙ってテレビを見て、黙ってパチンコに行く。
この日まではそんな父しか知りませんでした。
何を考えているか、どんな思いで働いているのか、考えた事もありませんでした。
しかし、この日を機に父は笑い、怒り、悔しがり、喜び、生々している様に見えました。
初めの数年は売上がなく、父は朝は給食センターで働き、昼と夜はお店で働いていました。
嫌な顔もせず、一生懸命働いている姿が目に焼き付いてます。
僕たち兄弟のご飯は、父が焼いたお好み焼き。次の日は焼きそば、その次の日はねぎ焼き。お弁当もお好み焼きでした。
僕たちの人生の中で1番のご馳走でした。本当に美味しくて美味しくて。今でもその味が超える事を目標にしています。
その後、お店は軌道に乗り、地域1番になり、開店から閉店までずっと満席。
オープン前から並ぶ状態にまでなっていました。
その後、父は癌で亡くなります。しかし、いつも笑っている父を輝いている父を思い出します。
一緒に働いてくれたスタッフ、お客さん、家族に囲まれながら、旅立ちました。父も家族もいい思い出で一杯です。
お好み焼き店を始めた事で、家族が一丸となり、スタッフやお客さんとの出会いがあり、
人生に彩りを施せたと私は思っております。おそらく父もそう思っているでしょう。
この事を切っ掛けに、私のお好み焼き人生が始まりました。
今現在、私のお好み焼き人生の折り返しに来たと思っております。
私には子供がおりません。
残り人生で、更なる精進と今持っている物を少しでもお好み焼き店を開業したい人の為に
お役に立つ事で未来に貢献できると考えております。